靖国参拝に関するメモを読む

説明は省略。
例のメモです。

                   4.28 ?
    前にあった● どうしたのだろう
    中曽根の靖国参拝もあったが
    藤尾(文相)の発言.
    =奥野は●尾と違うと思うが
    バランス感覚のことと思う
    単純な復古ではないとも.

     私は 或る時に、A級が
    合祀され その上 松岡、白取
    までもが、
     筑波は慎重に対処して
    くれたと聞いたが
○    松平の子の今の宮司がどう考 
余そ えたのか 易々と
りう  松平は 平和に強い考えが
閣で あったと思うのに 親の心子知
僚す らずと思っている
もが  だから 私あれ以来参拝
知が していない.それが私の心だ
ら多
ずい ・関連質問 関係者もおり批判になるの意


※ ●は私が判読できなかった文字。

1988年4月28日に書かれたメモとのこと。
書かれた日付が正しく,書いた人物が当時の宮内庁長官である故富田朝彦氏で間違いないと言うことを前提としてこのメモを読んでみます。

また,このメモからは富田氏と天皇陛下の会話であるという根拠を読み取ることはできませんが,仮にそうだとして話を進めていくことにします。

例のメモには?という番号が振ってあります。つまり,天皇陛下との会話として?から少なくとも?までのネタがあり,それをメモに書き留めていたと言うことでしょう。

で,?はどういう話題について話をしたのか。
私は当時の国土庁長官である奥野誠亮氏について話をしたのだと見ます。このメモは1988年4月12日のもの。奥野氏は4月12日にある発言を行っています。
「白色人種がアジアを植民地にしていた。それが日本だけが悪いことにされた。だれが侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国家か、軍国主義か。(江戸時代に)開国して目をさましてみたら、軍事力強化の立場に追い込まれていた。」

奥野氏はこの発言以前にも先の戦争に関し自説をいろいろと発表していますから,それら全てを含めて,天皇陛下は今の状況について語ったのだと思われます。
また奥野氏だけではなく中曽根氏や藤野氏の名前もでてくる。
1988年4月28日までには,次のような経緯があったわけです。

1975年 三木首相,初めて終戦記念日に私人として靖国参拝
1978年 A級戦犯とされた人々の合祀。
1985年 中曽根首相,公式参拝
1986年 藤尾文部大臣,先の大戦に関する発言が原因で罷免。
1988年4月12日 奥野氏,先の大戦に関し発言。
1988年4月28日 富田氏メモ

そして,1988年5月,奥野氏は罷免となります。

さて,もう一度メモを読んでみましょう。
前半を意訳すれと,
「中曽根の件もあったし,藤尾の件もあった。最近は奥野がなにやら発言しているようだ」
という感じになるのではないでしょうか。

そして,問題になっている後半。
もしこれが天皇陛下が述べたことに間違いがないとすれば,
靖国に祀られるのは戦場で亡くなった軍人に限った方がいい」
という自説を持っているくらいに考えた方がよいのではないかと思う。
敵国により死刑にされた者はともかくとして病死した者まで祀るのはいかがなものかと。

A級に関してはかなり深い意味を持っていると思います。
あえて日本のためを思って全責任を負って死んでいった人々。
「日本の為に最も良い選択は何か」
より良い日本を作ることこそが彼らの死に報いること。
天皇はそういう観点で語られているのかもしれません。
決してA級戦犯とされた人々をないがしろにしているわけではなく。

天皇陛下の真意は,「死を以て,日本に次の第一歩を踏み出す機会を与えてくれた人々がいる。彼らの遺志に報いる形での参拝を行いたい」ということではないでしょうか。

蛇足になりますが,このメモを紹介する時,A級の後ろに(戦犯)と付け足す記述をよく見かけます。元のメモに(戦犯)はありません。これはかなりデリケートな言葉ですから,筆者あるいは編集部の注であることを明示すべきです。

左に「余り関係も知らず。そうですがが多い」とあります。
この記述もなかなか興味深い。
つまり,天皇陛下は事実関係を確認するようなことはなかなかできず,ごくごく少数の者からの報告を信じるしかない状況であったと言うことかもしれません。
追記:「関係」ではなく「閣僚」だったようです。天皇が閣僚のことを知らないのか,閣僚が靖国について知らないのか判然とせず。記者会見で閣僚の発言について問われ,「そうですか」と答えたと言うことだろうか?

追記
今のところ次の情報の信憑性が最も高いかも。
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さらに追記

今回発表された物が4ページ目で,解読された物が3ページ目になるのかもしれません。3ページ目を見るとその内容は記者会見に関する物だとわかります。

1988年の天皇の記者会見では,「大戦のことが一番嫌な思い出であります」とのご発言があったようです。メモでは,それに関連して,当時様々な発言で話題になっていた奥野氏に話が及び,靖国問題にまで発展していったことが記されているのではないでしょうか。

=の部分はおそらく富田氏の注釈。

追記

4月25日に天皇の会見があったらしい。
以下のやりとりがあったとか。

−−陛下が即位式(昭和三年十一月)をされてから六十年になりますが、第二次世界大
 戦について、改めてお考えをお聞かせ下さい。

 「何と言っても、大戦のことが、一番いやな思い出であります。戦後、国民が相協力して
 平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後とも、そのことを
 国民が忘れずに、平和を守ってくれることを期待しています」

 −−日本が戦争に進んだ最大の原因は何だと思われますか。

 「そのことは、人物の批判とかそういうものが加わりますから、今ここで述べることは
 避けたいと思います」

 −−沖縄訪問について、お気持ちをお聞かせ下さい。

 「病気のため、沖縄の旅行を中止したことを今も残念に思っています。その時に、健康
 が回復したら、なるべく早い時に旅行したいと考えを述べましたが、今日も、その精神
 につきましては何も変わっていません」

読売新聞社


以上のやりとりが真実であるかどうか私には裏をとることはできませんが,これが真実であるならば,やはりあのメモは会見に関するものと見て間違いはないようです。