支那という言葉

右寄り投稿の連発です(^^ゞ

原因はチャンネル桜なんですけどね。
先日チャンネル桜掲示板に集う者で作られた草莽会が共催する反中デモが行われました。ところが,この反中デモが原因で草莽会に内紛が発生。
掲示板上で,運動のあり方を巡り丁々発止のやりとりがありました。

そして,先日,この問題を解決すべくチャンネル桜で急きょ討論の場が用意されました。

さて本題です。

チャンネル桜掲示板では,中国のことを支那と書くのは不文律となっています。常連さんで支那と書かない人は少数派。

しかし,私は上記の討論番組で面白いシーンを何度か目にすることになりました。討論中,「中・・・支那は」と言い直す人が数人いたのです。つまり,彼らは無理をして支那という言葉を使っている。無理して支那という言葉を使うその姿は滑稽でもありました。

確かに,支那という言葉はもともと差別語でも何でもありません。中国人自らが作った言葉です。しかし,言葉というものは変化するものであり,もともと差別語ではない言葉であっても,差別的意味合いで使われるようになる内に差別語になってしまうこともあるのです。

まだこの言葉が差別語ではなかった時期,子供時代にこの言葉を使っていたお年寄りが,支那という言葉を自然に使ってしまうのは理解できます。しかし,今若者が支那という言葉を使うことには私は賛同しかねます。

中国側は中国と呼んでくれるよう求めています。中国という言葉こそ差別語だと主張する人もいますが,現在においてそんな意味合いを感じる人は普通いません。中国でいいじゃないですか。

「民」という字ももともとは「目のつぶれた人」,要するに「もののわからない人」という意味をもっていました。庶民および盲人の両者を軽侮する言葉です。しかし,今の時代,そんなものにこだわって,「民」という言葉を使わないようにしようなんて主張する人はいませんよね。

支那という言葉に差別的意味はないと北京大学の学生も掲示板で述べているように,中国人もその点は理解し始めています。その点を理解した上で,それでも中国と呼んで欲しいというのならば,それでいいじゃないですか。