しない善よりする偽善

この言葉を聞くと虫酸が走る人もいるようですが,
私はこの言葉が好きです。

つまり,何もせずに『本当の善とはそんなもんじゃない』と語る役立たずよりも『これは善と言えるんだろうか』と悩みながらも活動をしている人の方がよっぽど世の為・人の為になると言うことです。

ここでいうところの『偽善』というのは,何も自分で『偽善』と確信しているわけではなく,自分では評価しかねているだけ。他人は偽善と評価するかもしれない。そういう可能性を意識しているだけなのです。私はそのようにとらえています。

善だと思ってやったことが失敗に終わってもいいじゃないですか。
間違ったらまたやり直せばいいのです。