醜い日本人――天安門事件――

小林よしのり氏の影響か,若い人の間で浅薄なナショナリズムが高まりつつある昨今,10数年来の愛国主義者である私の経験を少し書いてみたいと思います。

天安門事件についてはこれまでも何回か書いてきましたが(♯34,♯157),今回は少し違った側面から書いてみたいと思います。

1989年6月4日,人民解放軍の戦車が天安門に現れ人々を虐殺したという情報はすぐに私の所にも伝わってきました。私はその時北京語言学院の学生寮に住んでいました。北京語言学院は世界各国から学生を受け入れる巨大な語学学校です。留学生は5つほどの留学生寮に別れて住んでいました。

軍隊突入のニュースが伝わると,留学生達の間に動揺が走りました。

欧米大使館の対応はとても早かった。いち早く中国政府に対し抗議の声明を発し,自国の留学生を安全な場所に移動させる措置をとりました。徐々に減っていく欧米の学生達。残されるアフリカやアラブや日本の学生は不安になっていきます。

そんな時,様々な流言飛語が飛び交うことになりました。
曰く「明日解放軍が学校に突入してきて日本人だとわかると殺される」
曰く「華僑は日本に帰れなくなる」等々。
そして,その流言飛語が元になり,一部の日本人が非常に恥ずかしい行為を行いました。ある学生寮から華僑が追い出されたのです。華僑がいると人民解放軍が捜索にやってくるというデマに踊らされて。横浜中華街出身のその女性はほかの寮に住む友人のもとに身を寄せるしかなくなりました。人間は極限状態になるとその本性を現します。

もう一つ日本人の恥ずかしい行為をご紹介しましょう。
当時の北京語言学院には語学そのものに興味がある学生とは別に,仕事のために会社から派遣されている人がいました。いわゆる企業派遣と言われる日本人留学生です。銀行や商社の人がほとんどでした。その連中がひどかった。

日本政府がやっと動き,強制帰国と相成った日,大使館員が留学生を集め指示を出しました。
「これから空港に向かいます。○○時までに準備してください。手荷物はボストンバックサイズを1つのみにしてください」
ところが,集合時間になると企業派遣の連中はスーツケース2つを手にしてやって来てそしらぬ顔でバスに乗車したのです。厚顔無恥とはまさしくこのこと。しかし,恥知らずな行為はこれだけに留まりませんでした。

北京空港に着いた留学生は結局空港で足止めを食らうことになりました。空港で一泊です。翌日は留学生の代表がチケットの手配をする形となり,ほかの留学生はただただ待ち続けるという状態でした。その時企業派遣のある男から出た言葉には驚かされました。
「おっせーなー,まだかよー」
このような状況においても,自分では全く何もしようとせず,お客様気分でいるのです。

今も金を稼ぐためなら祖国なんてどうでもいいというような企業が中国に進出しておりますが,そういう企業を見ると彼らの姿を思い出してしまいます。

私は日本人の誇りうる美徳の1つは謙虚だと思っています。第二次世界大戦に対する認識に関して私はかなり右寄りで,大国に強制された間違った歴史認識を無批判に受け入れる必要はないと思っていますが,日本人にはこの美徳だけは忘れないでいて欲しい。

今年の天安門はとても静かだったようですね。
オーストラリアでは中国外交官の亡命事件など注目すべき事件が起こっていますが。
↓のサイトで,天安門関連の情報も中国外交官亡命のニュースもチェックできます。
大紀元←クリック