それでもルールは大切か?

『SPA!』という週刊誌には,坪内祐三氏と福田和也氏の「文壇アウトローズの世相放談・これでいいのだ」というコーナーがあります。6/7号にとても興味深いことが書かれていました。以下,その部分を引用します。

坪内 前ね、横浜の美術館へ……何の展示だったかな……、確か明治初期の日本の洋画だったかな、とにかく文化人類学者の山口昌男さんと一緒に行ったわけ。そしたらたまたま、西洋美術史家の高階秀爾さんがその場にいたんだよ。高階さんって、それこそ国立美術館の館長やってた人だからね。
福田 たまたま、いらっしゃったんですか?
坪内 そうそう、まったくの偶然で。それで,高階さんと山口さんは仲良しだから,五姓田芳柳か誰かの絵の前で、その絵について2人で語りはじめたわけ。そりゃ超高度な話ですよ。だって、日本を代表する専門家同士が語り合っているんだから。
福田 それは贅沢な語り合いだ。
坪内 でしょう。でもさ、途中で変な監視員の女の子がやってきて「静かにしてください」だって!
福田 わはははは、それはスゴイ!監視員もいちおう、女子美とか多摩美のバイトとかじゃないのかなぁ。
坪内 オレは、え!?静かにするどころか、これはみんなに聞かせるべき話なのにって、驚いちゃった。

さあ,皆さんはこのやりとりをみてどんな印象を受けましたか?

大きく分けて2つの意見が出ると思います。
1.物の価値を知らない小娘に貴重な空間を台無しにされた。
2.誰であろうとルールを守ることは大切。監視員の対応は正しい。

坪内さんも福田さんもおそらく前者の意見だと思われます。
実際の美術品を目の前にして,その道の大家が熱く語り合っている。このような貴重な空間を大切にせずに杓子定規にルールの方を大切にするとは,美術館に勤務しながら文化の何たるかを全く理解していない,そう考えているようです。無粋という感覚が当てはまるかも知れません。

しかし,後者の意見も捨てがたい。
美術館ではおそらく大声を出してはいけないなどのルールがあるのでしょう。
他の人の鑑賞の邪魔になりますから。
それぞれがそれぞれのスタイルで鑑賞している。
どんなに高尚な会話だろうと,ある人にとっては雑音以外の何ものでもないと言うこともあり得るわけです。

また,今回の場合は,山口昌男氏と高階秀爾氏という極めて高名な2人だったわけですが,これが微妙に高名だったり,無名だけど,もの凄く日本の洋画に造詣が深い人だったりとか,色々とややこしい状況が出てくる可能性もあります。その場合の対応をどうするか。いちいち,個別に対応するわけにはいきませんから,やはりルールを重視すべきだという考え方には理があるでしょう。

まあ,今回の場合は,結局,静かに語り合えば,何の問題もないことなんですけどね(笑)
その道の大家なら大声で語り合ってもいいのかどうかという観点から見た方がよかったかな?
いずれにしても,坪内氏は正当な注意であろうともその空間を壊して欲しくなかったのでしょう。

ならば,次のような場合はどうだろう?
有名なミュージシャン同士が街角で偶然出会い,その場の乗りでセッションを始めた。ところが,警察官がやってきて「ここは路上ライブは禁止です」と路上ライブを中止させたとしたら。観衆は「お前,このライブの意味が全くわかってないだろう!」と警察官に文句を言うかも知れません。

美術館の熱い語り合いも路上ライブも,別で対談をセッティングしたり,正式にセッションすればいいだけじゃないかという意見もあるかも知れません。ただ,その時,その場所で行うことに意味があるということも事実。

さて,皆さんはどう思いますか?
私は基本的にはルール厳守の考え方を持っているけど,自分が興味を持っていることだったら,「ゴメン,見逃して」と願うかも知れません(笑)
坪内さんも結局はこのあたりのことを言いたいのかも知れません。
美術館の監視員をしているのは美大生のバイトなどが多いそうですが,「君はこの語り合いに興味はないのかい?」「監視員という立場は忘れて聞いとけ」と。