ディベートについて

ただいま樂さんと「国家と善」について議論を続けておりますが,議論の一形態としてディベートというものがあります。ついでと言っては何ですが,この機会にディベートについての私の考え方を紹介してみたいと思います。

まずは,3年前にODNフォーラムで書いた物が見つかったので,それをそのまま引用します。フォーラムと書いてある部分をセイクラブに置き換えてお読み下さい。

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フォーラムではしばしば意見の食い違いによる衝突が見られます。一
生懸命お話ししているのに,なんでこの人は分かってくれないんだろう
と,絶望感,焦燥感,無力感を覚えたことがある人も多いのではないで
しょうか?なぜ「話が通じない」という現象が起こるのでしょう。いろいろ
な原因があると思いますが,原因の一つとして,「目的が違う」というこ
とが挙げられます。では,ある事柄について討論する時,人はどんな
目的を持っているのでしょう?「ディベート」をもとに考えてみたいと思
います。

まず著作権の問題もあるし,参考資料先を明確にしておきましょう。
【日本ディベート協会】←クリック
ディベートについて考える時,このHPはとても分かりやすいし役に立ちます。まず,ディベートとは。
1.公的な問題についての議論であること。
2.対立する複数の意見をもつ発言者によって議論がなされる。
3.中立な第三者やできるだけ多くの関係者全体としての判断が必要。

さて,ディベートについてはいろいろと興味深い点が多いのですが,焦点がぶれるので,ディベートの目的に焦点を絞って考えてみましょう。

一口にディベートと言っても,全く目的が異なるディベートがあります。
ある分類によると,それは「実社会ディベート」と「教育ディベート」の2
つに分かれます。実社会ディベートに属するものは,法廷や議会,学
会などでの論争です。その目的は,より正しいと思われることを明らか
にすることだと思われます。それに対して,教育ディベートは少し趣が
異なります。教育ディベートの本来の目的は,議論を通じ,学生の理
解力,分析力,構成力,伝達力を養うことにあります。教育ディべート
は結論よりもプロセスに重きがあるわけです。ところが,教育ディベー
トに含まれる「競技ディベート」がなかなかのくせ者です。競技ディベー
トとはいわば言葉のゲーム,その目的は議論に勝つこと。

教育ディベートでは2つの対立する意見のうち,どちらか一方を支持す
るように指定されることがあります。自分の主義主張とは関係なく。そし
て,その意見の正しさを証明するために言葉を構成していきます。とく
に,競技ディベートは「勝つ」ことが目的ですから,決して相手の意見を
受け入れてはなりません。相手の意見を受け入れることはゲームに負
けることを意味するのです。

さて,もし勝つことを目的とした人とよりよい答えを探し出そうとしている
人が議論をしたらどうなるでしょう。それは不毛な論争に終始すること
が多いのではないでしょうか。フォーラムでもしばしば全く目的が異な
る人の間での議論があります。相手が何を目的として話しをしているの
か,先ずは見極める必要があります。

一番最初にご紹介した,日本ディベート協会のホームページはお薦め
です。とくに「ディベートって何?」にある「理性的な議論をするために
は?」「ディベートに必要な技術や能力は?」「技術や能力を身につけ
る意義は?」の3つは必見です。

「誰が」ではなく、「何を」議論したのかを問うのです。

というのは私もすごく感じます。「罪を憎んで人を憎まず」ですね。

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以上のようなことを書いていました。
ディベートに関する認識は3年後の今もそれほど変わっておらず,
競技ディベートにはあまり興味はありません。
ちなみに樂さんとの議論は競技ディベートではないと思ってます。

NHKディベートサイトもなかなか面白そうです。
BSディベート←クリック
今月のテーマは「“国を愛する心”学校で教えるのか」です。
少し私と樂さんの討論にも似ていますね。
興味のある人はのぞいてみて下さい。