在日コリアンが帰化をしない理由

前回に引き続き在日コリアン特集です。

この問題,日本人も在日コリアンもなんかスッキリしない状態が続いていると思うのですよ。解決のためにはお互いに色々と知ることから始めなくてはいけません。

で,私の最大の関心事が,「なぜ在日コリアン帰化しないのか」。
今回はその点について思考を巡らせてみたいと思います。

ただ,在日コリアンとはいえ,最初に日本に渡ってきた一世から,全く日本人と変わらない四世までいろいろな人がいます。また,総連とか民団とか,所属している組織によっても考え方が違ってくることでしょう。十把一絡げにはできません。

では,まず,一世がなぜ帰化しないのかについて。

日韓に関する簡単な年表は次のような感じになります。

1910年8月22日:日韓併合

1945年8月15日:日本の敗戦

1948年8月13日:韓国独立

1948年9月9日:北朝鮮独立

1950年6月25日〜1953年7月27日:朝鮮戦争

1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約

1965年:日韓平和条約

1910年に日韓は併合され,コリアンはすべて日本人になりました。1910年ということは,在日一世は物心付いたときにはすでに日本人だったことを意味します。日本人として育ち,日本のために闘い,日本の地で生活した。おそらく今の日本人や若い世代のコリアンが想像する以上に日本人としてのアイデンティティを確立していたはずです。

そのコリア系日本人が,1952年のサンフランシスコ講和条約の施行とともに,強制的に日本国籍を剥奪されることになります。日本人として生きてきたし,これからもそのつもりでいた人々が,国家間の思惑で,「あなたは今日から韓国人です」と決められてしまったのです。
このアイデンティティの崩壊がのちのちまで尾を引いてしまったことは想像に難くありません。

ただ,一言言っておきたいのは,在日コリアンの間では,日本が勝手に国籍を剥奪したと考えている人が多いようですが,実際には韓国政府と協議の上でこのことは決められたということです。そのあたりの誤解は解いておかねばなりません。誤解といえば,従軍慰安婦の誤解もありますね。親に売られたのに日本軍に強制連行されたと誤解している人がいるようです。いろんな意味で悲しい誤解です。

日本国籍を剥奪された時,表だって抗議をした在日コリアンは少なかったようです。もちろん抗議をしたところでどうにもならないという気持ちもあったのでしょう。何しろ気持ちとしては敗戦国民の日本人の1人でしたから。また,敗戦国民でいるよりは,第三国人という身分でいた方が利点があるとの計算もあったのかも知れません。日本人にしろ,在日コリアンにしろ,生活するのがやっとの時期ですから,より得をしそうな選択をするのは当然のこと。

以上述べたように,在日コリアン一世が帰化しない大きな理由の1つにこの強制的な日本国籍剥奪が挙げられると思われます。自分は日本人だったのに強制的に国籍を変えられた,いまさらまた日本人になれなんて勝手じゃないか?そんな思いがあるのでしょう。「本当は日本人のままでいたかった」。絶対に口に出せない本音。国家間のしがらみに翻弄されてきた在日コリアン一世です。

※参考サイト
 浅川晃広研究室ホームページ

で,最近の若い在日コリアン帰化しない理由ですが,ほとんどの人は,コリアン戸籍のままでもとくに困らないのが原因ではないかと想像しています。彼らの先輩たちが今までに様々な権利を勝ち得てきました。選挙権がなくても公務員になれなくてもほとんどの人は別に問題はありません。だから,手続きは面倒くさそうだし今のままでいても別に構わないかなと考えている人が大多数だと思われます。

もちろん中には組織でバリバリに活動していて,「誇り」のために日本には絶対に帰化しないという人もいるでしょう。

帰化」という言葉自体を嫌う人も多いようです。日本人に同化してしまうようで。あるいは帰順する(反抗をやめて服従すること)というイメージもつきまといそうです。私もこれからはなるべく「日本国籍取得」という言葉を使うようにしようかな。

※参考サイト
 在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会
白しんくん
新井将敬