飛行機事故で日本人の安否だけ気遣うこと

今日,竹村健一氏が『報道2001』で語っていました。

「日本のマスコミは飛行機事故が起こったとき,日本人の安否しか放送しない。いろんな国の人が事故に遭っているのに,他の国の人は無視。他の国の人を人間と思ってないんだ。」

おおよそ,こんな内容のことをしゃべってました。

しかし,私はこれは違うと思う。様々な国の人が巻き込まれた事故であっても,日本のテレビマスコミは日本人の安否確認を最優先させるのは当然のことです。日本でその事故の状況を食い入るように見つめているのはほとんど日本人だと考えて間違いない。アメリカ人の安否情報はアメリカで流されているだろうし,韓国人の安否情報は韓国で流されているはず。例えば,500人が搭乗していた飛行機が墜落したとする。そのうち日本人は5人。すべての国の人の安否情報を同様に扱い,すべての乗客名をテレビで表示していったらどうなるか?

マスコミが外国人を人間じゃないと考えているのではなく,これは単なる合理的な判断です。私は割とマスコミ批判をすることが多いですが,この手の報道についてはマスコミの方法を支持します。

これに類することでは,オリンピックの放送があります。「平等」好きな人はよく「テレビは日本人が出場している競技・試合しか放送しない」と文句を言います。しかし,すべての競技を放送するというのはほとんど不可能なことです。となると,どうしても放送する競技を選択する必要が出てきます。一体何を放送するべきか?もちろんメダルに近い有力日本人選手が出場する試合を放送するのは当然のこと。

また,できるだけ日本人が出場している試合をすべて放送するのが望ましい。なぜならここは日本なのだから。テレビを見ているのはほとんどが日本人だし,代表選手の親族もテレビの前に張り付いてみています。

ただ,優れたゲーム,試合を是非見たいという気持ちは分かります。注目されている試合などは日本人が出なくても放送されます。ただ,マイナーな競技はその世界では好カードでも放送されないことが多い。興味がある人は有料放送などで自腹で見てもらうしかないですね。

そうそう,他の国でもテレビで放送するのは自国の選手が出場する試合がほとんどです。それが普通。不自然な「平等主義」はいただけません。

竹村健一氏の態度もいただけません(笑)何をふんぞり返っているのでしょう。最近はパイプを吸うのだけはやめたようですが。


花唐草さんへ
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