聖書の女性観
パウロの言葉をいくつか引用します。
「教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。もし、何か学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。」
「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ静かにしていなさい。」
「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」
「男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。」
もし聖書の記述を神の言葉ととらえるのであれば,これに従うしかありませんが,現実にはどうなのかな?教会内では女性は黙っている?
しかし,どうしてこんなことを聖書に書くことになったのかな?
本当に神はこのように認識しているのか,はたまた他の理由があるのか。
旧約聖書によれば,イブはアダムの助け手としてアダムの肋骨から作られたとされています。
ひょっとしたら,助け手のはずだった女性が思いのほか優秀だったから,神はびびったのかも。そのまま放置しておいたら,きっと女性の方が男性を支配するようになる。女性が男性を支配するようになれば自分の地位も危うくなると。そこで,女性には不利になるような様々な仕組みが設けたのかもしれません。
そんな裏話があったら面白いですね♪
教会における女性の地位と役割について