俺は知っている
このネタ,何度も書いているんだけど,再び♪
最近チャンネル桜というサイトの掲示板で目立っている人物がいます。
彼は漫画やネットなどで得た薄っぺらい知識で反中・反韓を語る人々をばったばったと切り捨てています。
その彼から良く言うセリフが,
「俺は韓国人と直接議論した。殴られたこともある。その結果韓国人が嫌いになったかというとそうではなく,逆に理解できるようになった」
つまり,「俺は誰よりも韓国人のことをよく知っている。なぜなら経験したから」ということを彼はいいたい。
韓国について語るならまず経験しろという経験至上主義。
一理ある。
でも,絶対ではない,と私は考えます。
彼が議論した相手というのは韓国人の代表ではなく一部に過ぎません。彼が理解したのは朴某とか李某という個人なのです。その経験を誇り,絶対化するのはいただけません。
私は1989年6月4日の天安門事件を現地で経験しましたが,私が見たものもごく一部に限られています。そういった,一部の集積により全体像にいくらか迫ることはできるでしょうが,結局総体的な評価に主観が入るのは当然のことです。経験したから主観が正しくなるなんて事は決して無く,個人的な経験によって却って全体が見えなくなることもあります。
セイクラブでも,社会経験があることにあぐらをかき,若者を見下す輩がたまにいます。
「俺は知っている」と思うのは勝手ですが,その「知」がいかほどの物なのか,「経験」によって「自由な思考」ができなくなっているのではと,たまには考えて欲しいものです。