大惨事で記録を求める

列車事故の情報がテレビをにぎわせています。

昨日あたりからやたらに目に付くようになってきたのが100人という数字。
「100人を超えそうです」
100人という切りの良い数字に何かを求めてしまう気持ちは解らないではないが,何だか人間のいやらしさを見せつけられているようで,すごく嫌な気分になります。もちろん,自分の中にも100という数字に何かを求めてしまう気持ちがあるので余計に嫌な気持ちになります。

阪神淡路大震災の時もそうでした。
あと何人で戦後最大の大惨事になるとか,やたらに数字に関する報道が多かった。そして,とうとう記録を超えた時,ある種の安堵感を覚えた人も多かったのではないでしょうか。
「戦後最大の大惨事になった。ひどいねえ。」

戦後最大であろうとも,100人に達しようとも,その悲惨さは変わらないのに,なぜか人々は数字を求めてしまう。数字によってその悲惨さを確認したがる。

嗚呼,今日もまた,100人を意識した報道を見ることになるでしょう。
そして,同時に自分の心も見ることになるのです。
「あと○人で100人だな」
一体,私を含め,多くの人はこの数字に何を求めているのでしょう。