男の心,女の心は存在するか

ジェンダーフリー論者は先天的に「男の心」や「女の心」というものが存在するとは考えていないようです。
彼らは「男らしさ」「女らしさ」というものは文化・社会的なものであり,性差は肉体的なものに限られると考えます。したがって,子供の頃から社会的に女の子として育てられれば,体は男でも,心は女になると考えます。

実際にそんな忌まわしい実験が行われました。
割礼手術に失敗し生殖器を大きく傷つけられてしまった男の子がいました。両親はジョン・マネーという医師に相談します。性科学の権威であるジョン・マネーは,両親に男の子を女の子として育てるよう薦めます。著名な医師の助言に逆らうことはできず男の子の両親は我が子を女の子として育てることに同意します。そして,男の子は性転換手術を受け女の子として育てられることになりました。少女として育っていく少年を観察しつつ,ジョン・マネー医師は得意になって『性の署名』という本のなかでこの実験を紹介し,自説の正しさの根拠としました。つまり,つまり性差という物は後天的に作られるものだと。

ところが結局この実験は失敗に終わります。少女ブレンダは少女になりきれず,結局デビッドに戻ることになります。そして,去年の5月,デビッドは自殺します。その原因は明確ではありませんが,少女として育てられたことと無関係ではないような気がします。

詳しい経緯は『ブレンダと呼ばれた少年』に書かれています。興味のある人は読んでみてください。
次のページも参考になります。
科学に佇む心と体←クリック

私も「男の心」や「女の心」の形成には間違いなく後天的な物,つまり文化的・社会的なものが関与していると思うけれど,先天的な物も間違いなくあると思っています。そして,先天的な性差を無視し,後天的に培われた「男らしさ」や「女らしさ」をも排除するようなジェンダーフリー教育には大いに疑問を持っています。この世から「看護婦さん」という言葉を抹消することにいかほどの意味があるのか。

ジェンダーフリー論者は性同一性障害についてはどのように考えるのだろう?この疾患については私も正直よくわからない。肉体と精神は大いに関連していると考える私としてはどうも納得しかねる病気なのです。「性同一性障害」という言葉ができたために大量発生した部分がかなり大きいと思いますが「本物」もおそらく存在しています。病気だから変なのは当たり前と簡単にすませるべきなのだろうか。

余談になりますが,性同一性障害があるなら,年齢同一性障害や社会的身分同一性障害,さらには自己保有能力同一性障害などがあってもおかしくない。自分は20歳のつもりなのになぜか実年齢が40歳だとか,私はある国のお姫様のはずなのに毎日満員電車で通勤しているとか,俺はIQ200のはずなのになぜかこの問題が解けないとか。