ネットで発言するということ

私はSayClubだけではなく,いろんなサイトを見て回るのが好きです。
あるサイトのスレッドで,次のような発言を見たことがあります。
「私の発言を不快に思うのなら見るな」
そのスレッドは彼が立てたもので,「こんな変な奴がいた」という内容の発言を続けているのです。
そして,彼の発言を批判するようなレスが入ると,
「見るなと言ってるのにわざわざ見に来て熱くなっている。愚かだ」
そんなことを言いつつ冷笑してみせます。

「嫌なら見るな」,一見,道理があるように見える彼の発言ですが,果たしてそうか?私はそうは思いません。


第一に,ネットでの発言は,自分の部屋での会話や日記帳に書き記すのとは訳が違うのです。必ず誰かに見られているということが前提になっています。誰もが自由に見ることができ,誰もが自由に自分の意見を述べることができるのがネット掲示板の醍醐味。

「不快に思うのなら見るな」は自分の発言の自由のみを主張し,他人の閲覧・発言の自由をないがしろにしています。批判意見のレスを付けられたくないのなら,公の場で書かなければいいし,書くならば,パスワード設定ができる掲示板を探して,限定公開にすればいいのです。

私はネットで発言するならば,見ず知らずの人から急に批判されることも甘受すべきだと考えています。勿論,誹謗中傷ならば相手をする必要はないし,マナーある批判意見であっても返答の義務はありません。ただ,批判のレスが付くことまで拒否することはできないし,拒否したところで無意味です。

「快」だろうと「不快」だろうと誰でも自由に見ることができるのがネットです。私はこれからも「不快」と思われるスレッドでも見続け,時に批判意見を出すでしょう。

これと似たような問題に,無断リンクというのがあります。無断リンクとは,あるサイトの管理者に無断で,そのサイトのリンクをよそではることです。こちらの方は,「無断リンクは何の問題もない」という認識が一般的に受け入れられています。それでも無断リンク禁止にこだわるサイトの一部は,いちいちクレームをつけて回ることに疲れ,最終的にはパスワード制を導入したりするようです。

ネットで何らかの表現をしたいのならば,それに対するあらゆる反応も覚悟する必要があるのです。世界に向かって発言したいけど,批判的な発言は聞きたくない。わからないではないけれど,2つのものはそう簡単には同時に手に入らないのです。

ある人は,ネットでの発言は本を書くことにも似ていると言っています。
本を出せば,ファンレターも来るだろうけど,厳しい書評なども書かれたりします。


第二に,見なければいいと言われても,他人を批判するような発言は
間違いなく多くの人の興味をひき,普通以上に見られることになるという現実があります。自分あるいは友人を批判するような発言を見つけて,それを見ないでいられる人が果たしているでしょうか。見なければいい,レスもするなと言いつつ,他人を批判するような発言を続ければ,批判された方も似たようなスレッドを立て,泥仕合になる可能性があります。実際私が見つけたそのサイトは泥仕合になっています。


私もたびたび人を批判するような内容の発言をします。正確に言えば,「罪を憎んで人を憎まず」というスタイルで,「罪」についての言及ですが。もちろん,私の意見に対する反論はつねに覚悟しています。
「不快に感じる人は読まないで下さい」などとは絶対に言えません。