「もともと」のせめぎ合い

「もともと」って奴はなかなかのくせ者です。

イラク派兵反対,自衛隊の撤退を訴えている人は,
「もともとアメリカのイラク攻撃に大義はなかった」と言います。

ユダヤ人は,
「もともとパレスチナは神がくれた土地(約束の地)だ」と言います。

パレスチナ人は,
「もともとユダヤ人とパレスチナ人は仲良く暮らしていた」と言います。

さて,どこまで「もともと」に戻ればいいのでしょうね?
アメリカ大陸などは「もともと」はインディアンの土地。
絶対に「もともと」まで戻すわけにはいきません。
イスラエルは「もともと」に従い建てられた国家ですが,
「もともとパレスチナ人の土地」というところには決して戻りません。

中国は「もともとチベットは中国の土地だった」という理屈で,チベットを侵略・併合しました。ちなみにこの「もともと」は元代のことを指すらしい。

それぞれが自分の利害にしたがって「もともと」を設定しているのが今の世の中。都合が悪い「もともと」は無視して「現状追認」するのもまた世の道理。

どのような場合「もともと」を重視し,どのような場合「現状追認」すればいいのでしょうね。アメリカという国やイスラエルという国は侵略によりできた国家ですが,「現状追認」する以外方法はありません。
今「アメリカ軍はイラクから撤退しろ」と主張する人でも,「イスラエルパレスチナから出て行け」と主張する人はいないでしょう。

イラク問題では,「もともとアメリカには大義がなかった」という主張が正論だと思われます。しかし,「現状追認」せざるを得ない部分もある。
もともとの話をしていても先には一歩もすすめませんから。

もともと多種多様な民族の利害がぶつかり合っていたイラク。それをサダム・フセインが恐怖あるいは軍事力により平定していた。しかし,アメリカによりそれがもともとの状態に戻ってしまった。

あの辺りの地域では,さらに「もともと」に戻って,国家という枠組みがない方が良いのだろうか?しかし,そうなると部族間の縄張り争いが激化し,安定した原油の供給は受けられないかもしれない。う〜む,やはりサダム・フセインは必要悪だったのだろうか?いや,別に己の利害ばかりを追求する独裁者じゃなくても良いはず。

どこかに有徳の独裁者がいないかな〜。孔子が求めていた「君子」のような独裁者。

あっ,「もともと」からはずれた(^^ゞ