なぜそれを選ぶのか,なぜそれを選ばないのか

著作権に関する討論で,次のような言葉を見かけました。

「なぜCJばかりにこだわるのか。著作権侵害はもっとほかにもいろいろあるのに」

さて,なぜなんでしょう?
ほかの悪に目をつぶり1つの善だけにこだわるのは偽善だとの意見もあります。

偽善と言えば,ボランティア活動が有名です(笑)
もちろん,私がボランティア活動を偽善だと考えているのではなく,ボランティア活動に関する掲示板では必ずこの「偽善」という言葉が出てくるように,両者の親密度は一般にとても高いようです。

阪神大震災の時,多くの若者がボランティア活動に参加しましたが,事務的な仕事よりも,食料を配るなど実際に被災者に接する仕事の方が人気があったそうです。そして,そのようなボランティアの姿勢に対し多くの批判が集まったようです。なぜ彼らは仕事を選ぶのでしょうか?ボランティアで仕事を選ぶというのは偽善なのでしょうか?

また,海外ボランティアもよく批判にさらされます。日本にも困っている人はたくさんいるのになぜわざわざ海外に出て行って外国人を助けるのかと。

やるべき仕事(無償の奉仕)はたくさんある。しかし,人は様々な理由によって,ある仕事のみを選択する。全てを選択する事などできませんから。では,何か1つの仕事を選んだからと言って,果たしてそれを偽善と言う事ができるか?

ボランティアに関しては私の考え方ははっきりしています。自己満足だろうと偽善だろうと,その活動によって救われる人がいるのならば何の問題も無いし,素晴らしい行為だと思います。もちろんより良い方法を模索していく事は大切ですが,その人にできる事をやればいいのです。

さて,ネットコミュニティにおける一種の自治活動はどうでしょう?これは非常に難しいのです。コミュニティの管理者に委託されているわけではないから,そのバックアップは期待できないし,結局は自己責任でやらねばならないから。自分が楽しむ場はある程度自分たちで環境整備をする努力は必要だけど,その加減がとても難しいのです。

何か自治活動的な事をしようと考える人は,「なぜそれを選ぶのか,なぜそれを選ばないのか」と問いつめられた時,それに答えられるくらいの準備はしておいた方がいい。