サダム・フセインとらわる

と言うことで,友人に日記のネタになるねと言われたものの,
あまりネタが浮かびません(笑)

以前プラザのニュース板で,パレスチナホテル前で倒されたあの像はサダム・フセインではなく,前大統領のバクルなのではないかというネタを書いたのですが,そちらの方がいまだに気になっているかも(^^ゞ

サダム・フセインが捕まった姿はまさしくオウムの麻原が捕まった姿と同じ。誰も信じられなくなりお金だけを信じて縮こまっている姿は哀れです。自分が人を傷つけ続けてきたために,人が信じられなくなる。独裁者の行き着く先ですね。

さて,今後の展開ですが,テロリストの立場になって考えると,ここで一発大きな花火を打ち上げてやると言うことになるでしょうね。俺たちはまだやると。一番危険なのはやはりクリスマスでしょう。キリスト教国家を侮辱するには最適です。

前にも日記で書きましたが,原理主義者たちに言いたいのは堅気の衆には迷惑をかけるなと言うこと。パレスチナもいわば思想のための戦場と化しているし,イラクもまたそうなりつつあります。

テロリストが民衆の支持を得るためには,民衆は貧しく不幸でなくてはいけません。民衆が現状に満足し幸せになってしまったら,テロリストの大義名分はなくなります。だから,テロリストは平和を嫌います。

フセインの残党がどのくらいの力を持っているかは私には全くわかりませんが,便乗テロリストの方が心配です。