アジアの中の日本

先ほど録画しておいた『日本の、これから 戦後60年 じっくり話そう アジアの中の日本』という番組を見ました。

日中韓市民が集まり,靖国問題や教科書問題などについて討論するという内容です。

右も左もまんべんなく参加しており,そのあたりのバランスはとれていたように思います。中国や韓国の参加者の発言も予想通り。

ちょっと面白かったのが2つ。

中国人である朱建永教授が,中国が靖国神社参拝に異を唱える理由について,かなりリアルな見解を示しました。

周恩来首相が日本に戦後賠償を要求しなかった理由は,第1次大戦で賠償金を要求されたドイツ人は他国に対する憎しみを持ってしまい,その結果として第2次世界大戦を招いた,だから,日本人が中国に憎しみを持たないように配慮したということらしい。で,落としどころとして,日本国民は悪くない,A級戦犯が悪いと言うことにした。しかし,日本がA級戦犯は悪くないというと,中国政府は中国国民に対して示しがつかない。そんな理由から,中国政府は反対しているのだというわけです。事実はさておき,感情論ではなく,中国人らしいドライな分析には少し好感が持てました。

そして,面白かった2つ目が町村外相の発言。

学校教育での歴史の授業ですが,たいていの学校では近現代史は適当に流されます。古代に時間を取りすぎて,時間がなくなってしまうというのも理由の1つでしょうが,町村外相ははっきり言いました。教員のなかにはマルクス・レーニン主義に影響された思想をもつ人がたくさんおり,近現代史をその思想に基づきじっくりやられると困ると。だから,暗黙の了解として,近現代史は思想の植え付けにならないよう適当に流すようになっているのだと解説してくれました。なるほど。


さて,タイトルの『アジアの中の日本』です。

番組の最後には,日本対アジアではなく,日本もアジアの中の一員だと言うことを自覚し,アジア協調のために隣国との相互理解を深めていきましょう,という,まあよく聞くような話にまとめられました。

しかし,私は思う。
なぜ,アジアなのか?
アジアって一体何なのか?
なぜ,アジアという枠組みにこだわる必要があるのか?

アジアといえば,ユーラシアからヨーロッパを引いた領域です。
各種スポーツ大会を見ればわかるようにインドや中東などもアジアです。この枠組みって一体なんでしょう。

人類はこれまで地球上にいろんな線を引いてきました。
アジアという線引きは,いったいいつ何のためにできたものなのでしょう。

討論の最中も中国人が「アジアは日本を批判している」という主張をし,桜井よしこさんに「アジアではなく中国と韓国でしょう」とたしなめられていましたが,日中韓ともにこのアジアというよくわからない物に縛られすぎているような気がします。

アフリカなどは1つの大陸だからわかりやすい。
しかし,アジアはどうもよくわからない。
ひょっとしたら白人が「支配される側」として分画した?